
池というと地面を掘るイメージがあるが、狭山池は後背の和泉・金剛山地から近畿平野に向かって流れてくる二つの川の途中を一本の堤で堰き止め、左右の丘地とともに水を溜めたものだ。

616年、推古天皇の御世に着手された第1期造成は青葉の付いた木の枝を敷き詰め、そこに土をかけて踏み固め、その土の上にまた青葉の枝を敷き詰め、土をかけることを繰り返して堤の躯体を作っていく「敷葉工法」と呼ばれる土木工事法で築造された。
同様な土木遺産は、同年代の中国や朝鮮半島にも残っている。

この頃の工事には、近畿地方を治めて連合政権を運営していた帰化人等の有力豪族が携わり、特に蘇我氏は、最有力の勢力として土木工事なども行っていたようだ。
以降この池は何代にもわたって人の手が加えられて現代に至っている。

古代から平成の大改修までを眺めると、約1400年もの間、人々の生活を支えている事に改めて驚きの念を抱かざるを得ない。しかし、それは「筋の良い公共事業の証し」ではないか。
社会資本とは「世代間で負担を分担し合って生活の向上を図るもの」であり、例えその時代に評価をされないとしても、年月がその正当性を証明してくれるような気がする。
「人間の最も基本的な営みである水と大地の関係性を追及する土地開発史専門の資料館」と銘打って、平成13年3月に開館した大阪府立狭山池博物館(設計・安藤忠雄氏)には、平成の大改修で切り取った高さ15.4m×幅62mもの「堤の実物」が中心ホールに展示されており、その断面には各時代の改修の痕跡が筋となって、あたかも年輪のように積み重なっている。
その偉大なるバームクーヘンを見上げていると、各時代に堤に取組んだ人々の喧騒が土埃と共に甦り、同時に青葉の枝と土を踏みしめた初代から連綿と続く歴代の従事者たちが「時代が変わっても、社会資本に携わるものとして、本質的なことを見失ってはならない」と語りかけてくるようで圧倒される。
「国づくり・稲作文化の年輪」を見上げて息を呑むだけでも訪池の価値は充分あると思う。
| 推古天皇: | 在位592〜628年。わが国初の女帝。甥の聖徳太子を皇太子・摂政に任じて政治を行った。 |
| 蘇我氏: | 古代の中央豪族。大和朝廷の国政、財務を掌握し権勢を振るったが、大化の改新で滅亡。 |
| 行基: | 668〜749年。奈良時代の高僧。和泉の人。全国をまわって寺・堤・道路・橋などを作った。のち聖武天皇の帰依を受け、東大寺大仏の建立に協力。日本初の大僧正。 |
| 重源: | 1121〜1206年。鎌倉初期の浄土宗の僧。密教を学び、のち法然に師事。三度入宋して天竺様建築を伝え、東大寺再建の勧進職として活躍。 |
| 豊臣秀頼: | 1593〜1615年。豊臣家二代目当主。母は淀君。6歳で家督を継いだが、関が原の戦い後、一大名に転落。元和元年(1615年)大阪夏の陣に破れ、自害。 |
| 片桐且元: | 1556〜1615年。近江の人。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳七本槍の一人。 |

南海電鉄難波駅より高野線にて大阪狭山市駅下車、西へ徒歩約10分。
